※基本的人権の限界
1、憲法では、基本的人権を「侵すことにできない永久の権利」と定めている。
⇒これは法律によっても、さらに憲法改正によっても、侵してはならない権利として、絶対的に保障する考え方をとっている。しかしこの意味は、人権が無制限という意味ではない。
2、人権というものは個人に保障される意味をもつので、個人権とも言われる。
⇒しかし個人は、社会関連との関係を無視して生存することはできない状況なので、人権も他人の人権との関係で制約されることがあるのは当然と思われる。
一 人権と公共の福祉
※公共の福祉
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【参考条文】
第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
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第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
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第二十二条
1 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
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第二十九条
1 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
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1、公共の福祉という言葉は、精神的自由権と経済的自由権どちらの規定でも使用されている。この場合に公共の福祉の意味を一義的に捉えられることができるだろうかという問題が生じる。
2、文理的に解釈すれと、基本的人権には公共の福祉という限界が精神的自由権・経済的自由権双方に付されるということになる。しかしこれでは明治憲法下の法律の留保のついた人権保障と同じようになる。
3、この限界の考え方が二つの説に分かれている。
1 二つの考え方にみられる「公共の福祉」
1、このような「公共の福祉」にみられる二条項が、各人権に対して具体的にどのような法的意味をもつのかについて、学説は大別して二つに分かれている。
(1)一元的外在制約説
1、「公共の福祉」という用語は、はじめは人権の外にある社会全体の利益を指すために用いられ、公共の福祉を理由として人権を制約することが判例上広く認められていた。
2、この説は、人権の外部に「公共の福祉」なる概念が存在して、「あらゆる人権保障に制約を加えることができる」という意味で、この学説を「一元的外在制約説」と呼んでいる。
3、この説は現在では全く支持されていないのが現状である。
⇒理由は「公共の福祉」を根拠にいかなる人権も制限可能であるのであれば、明治憲法で保障されていた「留保付きの」人権保障と全く同じ運用が可能になり、個人の自由を最高の保護法益とする日本国憲法とまったく相容れない部分が出来上がるからである。
(2)内在・外在二元的制約説
1、公共の福祉により制約が認められる人権は、経済的自由権(22条と29条)と社会権に限られ、「12条・13条は訓示的な規定に過ぎない」としている。
⇒社会権の権利以外は憲法的制約はなく、それぞれの社会・文化関係から自律的に制約されるのみとする説であり、これを「二元的内在外在制約説」と呼んでいる。
2、これは、権利・自由の行使を事前に抑制することは許されず、それぞれの権利・自由に内在する制約の限度で、事後に裁判所が公正な手続によって抑制することだけが許されるとされるものである。
【参考】
※内在・外在二元的制約説とは、公共の福祉による制約が明文で定められている経済的自由権(憲法22条、29条)と、社会権(25条~28条)に限り、公共の福祉による制約が認められるとする。
⇒そのため、「12条、13条は訓示規定であると解する」ことになる。
【問題点】
①自由権と社会権の区別が相対化しつつある現状であるのに、それを画然と分けてしまい、その限界を一方は内在的、他方は外在的と割り切ることが妥当かということである。
②また、憲法に言う「公共の福祉」の概念を国の政策的考慮に基づく公益という意味に限定して考えるのは適切であるかということ。
③13 条を倫理的な規定であるとしてしまうと、それを新しい人権を基礎づける包括的な人権条項と解釈できなくなるのではないかということがあげられる。
※以上、三点の問題があることを考慮する。
2 一元的内在制約説
1、宮沢先生によって主張され、先の(1)と(2)の両説を統合した、現在の通説とされる学説である。
①公共の福祉とは人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理であるする。
②この意味での公共の福祉は、憲法規定にかかわらずすべての人権に論理必然的に内在している。
③この原理は、自由権を各人に公平に保障するための制約を根拠づける場合には、必要最小限度の規制のみを認めて(自由国家的公共の福祉)、社会権を実質的に保障するために自由権の規制を根拠づける場合には、必要な限度の規制を認めるもの(社会国家的公共の福祉)としてはたらく」というもの。
【問題点】
(批判をみると)
1、人権の具体的限界についての判断基準として、「必要最小限度」ないしは「必要な限度」という抽象的な原則しか示されず、人権を制約する立法の合憲性を具体的にどのように判定していくのか、必ずしも明らかではないことである。
⇒要するに明確性が定かではない。
2、具体的な基準は何かという基本的課題に対する解答を判例の集積に委ねてしまうのでは、内在的制約の意味が明確性を欠くだけに、実質的には、外在的制約説と大差のない結果となるおそれもある。
【判例】
※まず、初期の判例は、「公共の福祉」を人権の一般的な制約原理として用いる一元的外在制約説に立っていたということができ、「「公共の福祉」の内容を明らかにすることなく、憲法 12 条、13 条の「公共の福祉」を援用して、人権を制限する法律の規定を簡単に合憲と判断した」ことである。
※その例として、以下の判例を挙げることができる。
○戸別訪問禁止に関する判例(最大判昭和 25 年 9 月 27 日)…「選挙の公正を期すこと」を公共の福祉の内容とした。
○チャタレー事件判例(最大判昭和 32 年 3 月 13 日)…「性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持すること」を公共の福祉の内容とした。
○東京都公安条例事件判例(最大判昭和 35 年 7 月 20 日)…「公共の安寧の秩序」を公共の福祉の内容とした。
○労働基本権に関する判例(最大判昭和 28 年 4 月 8 日)…「憲法 28 条が保障する勤労者の団結する権利及び団体交渉その他団体行動をする権利も公共の福祉のため制限を受けるのはやむを得ないところである」と判示している。
※この流れは、全逓東京中郵事件最高裁判決(最大判昭和 41 年 10 月 26 日)が、公務員の労働基本権の制約に関し、「国民生活全体の利益の保障という見地からの制約を当然の内在的制約として内包している」と判示して、内在的制約説の立場に立ったことにより変更されている。
※都教組事件最高裁判決(最大判昭和 44 年 4 月 2 日)も同様に、公務員の労働基本権の制約が「当然の内在的制約」である旨示。
⇒しかし、全農林警職法事件最高裁判決(最大判昭和 48 年 4月 25 日)では、労働基本権について「おのずから勤労者を含めた国民全体の共同利益の見地からする制約を免れないものであり、このことは、憲法 13 条の規定の趣旨に徴しても疑いのないところである。」と示し、従来の公共の福祉説に戻っていることである。
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