刑法のお勉強 第6日

3 罪刑法定主義の根拠

1、罪刑法定主義の理論的根拠であるが、刑罰というのは、国民の意思に基づき合法的に科されることが前提となり、そのためにはどのような行為を行うと犯罪とされ、それにはどれくらいの刑罰を加えるのかについて、国民を代表する国会が作る法律で定めなければならないとするものである。

2、同時に、犯罪と刑罰は国民に事前に予告されている必要もある。その前提が成り立っていないと、国民は自分のおこなった行為が犯罪として処罰の対象になっているのかどうかが分からないため、自由に行動することができなくなり、不意の処罰によって人としての「尊厳や自由と生存」を不当に侵害されることになってしまうというのが原因である。

3、これは形式的根拠と実質的根拠とに分けて考察することができる。


(1)形式的根拠

1、罪刑法定主義は、従来、主として形式的根拠から基礎づけられてきている。

⇒民主主義の原理と自由主義の原理がこれにあたる。

(イ)民主主義の原理

1、罪刑法定主義の内容の一つが法定主義であるが、この原則は、政治上の民主主義の原理によって基礎づけられている。

⇒国家権力の恣意から「国民の自由」を保障するための統治組織原理がこれである。

2、この原理は二つの思想に分けることができる。

その一つは、三権分立主義の思想であって、これによれば、裁判所は自ら犯罪と刑罰を決定する権能をもたないことになり、その任務は単に国会の制定した法律を適用することに限られる。

3、その二は、国民主権主義および議会制民主主義の思想であって、これによれば、犯罪と刑罰は国民自身がその「代表である議会を通じて決定しなければならない」ということになる。


(ロ)自由主義の原理

1、罪刑法定主義のもう一つの内容である「事後法の禁止」は、形式的根拠のうち主として自由主義の原理の原理によって基礎づけられる。

⇒国民は、法の事前の予告によって、自己の行為が処罰されるかどうかについての予測可能性をもつことができるという意味での自由主義的要請がこれにあって、フェイエルンバッハの心理強制説につながる原理である。


※心理強制説

1、心理強制説とは、犯罪を抑制するためには犯罪を犯すことによって得られる快楽よりも犯罪を犯したことによって国家から強制される刑罰による不快感のほうが大きいことを周知させることが必要であるとする主張である。

⇒つまり,一般人に対して国家から刑罰の予告を行うことによって心理的箍(たが)を嵌(は)め犯罪を抑止するという思想である。


【解説】チェック

※フェイエルンバッハの心理強制説

1、彼は、「人間は快を求め不快を避けるもの」であり、したがって「人間はそれにより、より大なる快が得られるときには、より小なる快を捨て、それより、より大なる苦痛を避けうるときには、より小なる苦痛を忍受するものである」という、いかにも啓蒙主義的な「理性」的人間観から出発している。

⇒そこで、「各人は快楽の客体である行為への要求が充たされなかったことから生ずる不快に比し、より大なる不快が違反行為に必ず随伴するであろうことを知っていたならばその違反行為は防止されたであろう」としている。

2、例えば、貧しい空腹者が食物を盗もうとするとき、盗んで空腹を満たすことによる満足感と、捕まって処罰させられることのつらさを天秤にかけ、後者の方が少しでも大きければ、盗むのは間尺に合わないと思い、空腹が満たされない不愉快さは我慢して盗みはしないという方向に自己決定するというわけである。

3、ここから、刑法の目的は「罪を犯すことによりうる快より犯罪によって科せられる不快の方が大であることを知らしめることにより犯罪を防止すること、これを言い換えると、刑罰を予告することによって人を犯罪から避けしめること」であると主張している。

4、そうすれば、犯罪と刑罰とをあらかじめ法律に明確に規定しておくことにより、誰も罪を犯さないように心理的に強制され、一般予防が果されるとする。

⇒このように、フォイエルバッハの心理強制説は必然的に罪刑法定主義の原則を導き出すことにもなっている。


(2)実質的根拠

1、「個人の尊厳」によって基礎づけられる自由と権利を、国家刑罰権の懇意的行使から実質的に保障するという「実質的人権保障の原理」とする。

⇒憲法学的解釈


かいひろし法律の部屋

今学んでいる法律の学問を記します。

0コメント

  • 1000 / 1000