憲法条文整理 第1条~第3条

第1条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。


重要度:3

解説等:メモ

【趣旨】

・本条は、天皇を統一された日本国の象徴として、また、日本国民が統一されてあることを象徴すべきものとして規定している。また、天皇の地位は、主権を持つ国民の総意だけに基づかなければならない。

・天皇は、国民統合の象徴でなければならないため、公平性と中立性が必要とされている。そのため、天皇や皇太子には選挙権が認められていなかったり(特定の政党と親密な関係にならないようにするために)、皇太子等皇族男子の結婚についても本人の意思だけでは決定できないようになっている。

・天皇は日本の元首であるかどうかについては、様々な学説上の争いがあり一定していないが、天皇が世襲であること、国事行為(第7条)という国会に拘束されない一定の権限が認められていることなどを考えると、元首と考えるのが妥当である。


※象徴をめぐる問題について

1 天皇の扱いについての考察

※天皇や皇族の扱いについては、皇室典範において規定している。

・第22条では、天皇・皇太子・皇太孫は18歳で成年とすること。

・第23条では、天皇・皇后・太皇太后・皇太后の敬称は陛下、その他の皇族の敬称は「殿下」としている。

・第25条では、天皇が崩じたときは、大喪の礼を行うとしている。


2 象徴の保護について

※天皇に特別の敬称を認めることと関連しているが、天皇・皇后などに対しての名誉毀損罪について、刑法は、内閣総理大臣が告訴すると規定(刑法第232条第2項)。

⇒また、中央公論所載の深沢七郎の「風流夢譚」をきっかけとして、「象徴侮辱罪」制定の請願署名運動が行われたことがあった。しかし、日本は国民主権国家であり、天皇に国民以上の権威を認めることは、法の下の平等の原則に反するため、不適当であるとされている。


3 君が代の国歌化について

※日本の憲法には国歌や国旗を定めた規定がないのが事実である(外国の憲法にはある)。

⇒その為、現在まで国歌と国旗については様々な問題が生じてきている。1999年に、日章旗を国旗、君が代を国歌とする法律が成立したが、法律で国歌と定め学校行事の際に、歌うことを義務付け違反者を処罰するということは、憲法第19条の思想・良心の自由、第21条の言論表現の自由を侵すものとして違憲である可能性が高いとする(バーネット事件の判決参照)。


4 元号法

※元号は、古代中国の専制君主が、領土という空間だけではなく時間と歴史をも支配するという思想により定められ、法的には、君主主権の属性である君主の元号制定権・改元権の行使として置かれてきたものである。

⇒明治・大正・昭和の元号は天皇の詔書によって定められたことからして、それを受け継ぐことは、国民主権の新憲法に違反し、元号法は無効となる。

※象徴をめぐる問題に関しては、とてもシビアであり、様々な説があり、矛盾が多いことも事実である。


【判例】

※天皇への民事裁判権

天皇には民事裁判権は及ばないとする

(最判平元.11.20)


第2条

皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した「皇室典範」の定めるところにより、これを継承する。

重要度:2

解説等:メモ

【解説】

○趣旨

・本条は、皇嗣(こうしと読む。天皇の跡継ぎのことである。)についての規定である。

○世襲

・世襲(せしゅう)とは、その家の地位・財産・職業などを嫡系の子孫が代々うけつぐことであり、君主制の特徴である(共和国の大統領に世襲はない)。

・戦前の刑法には、大逆罪(皇族に危害を加え、または加えようとしたものは死刑とする罪)というものがあったが、これは神聖不可侵とされた天皇などに対する反逆であるばかりでなく、皇位継承資格者を絶やさないための法律でもあった。

・また、皇位継承資格者を維持するという理由のために、皇族費が国費から支出されている(共和国の大統領に、子弟や親族の生活維持費等は支給されない)。

⇒皇室の費用に関しては、第88条も参照のこと。

・皇位継承の資格や順序については、皇室典範に規定されている(以下を参照)。

【要点】

○皇位の継承者等の変更

※世襲制は憲法上の要請であるが、皇位の継承に関しては、憲法はすべて皇室典範の規定に委ねている。ゆえに、皇位の継承権者やその順位の変更等については、憲法を改正するまでもなく、国会の議決で皇室典範を改正するだけで行うことができるとする。

⇒皇室典範は通常の法律であり、憲法の下にある法形式である。


【皇室典範】

第1条  皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

第2条  ①皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。

 1 皇長子

 2 皇長孫

 3 その他の皇長子の子孫

 4 皇次子及びその子孫

 5 その他の皇子孫

 6 皇兄弟及びその子孫

 7 皇伯叔父及びその子孫

② 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。

③ 前2項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。

第3条  皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。

第4条  天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。

※これらは、大日本帝国憲法第2条に基づく旧皇室典範と同様である。

※これらは、男女差別を禁止した現在の憲法からすると、違憲であるという意見も多いのが事実である。

※ちなみに皇室典範は、第37条まである。


第3条

天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の「助言と承認」を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

重要度:4

解説等:メモ

【解説】

・本条は、いわゆる「大臣助言制」について規定している。

⇒つまり、天皇の国事に関する一切の行為は、天皇単独で行うことはできず、内閣の「助言と承認が必要」であるということである。また、その結果についての国会と国民に対する全責任は、天皇ではなく内閣が負わなければならない。

・大日本帝国憲法では、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と規定されていた(大日本帝国憲法第3条)。

⇒かつては神聖不可侵であるがゆえに、天皇は何らの責任も追求されなかった。イギリスにおいても同じように、「King can do no wrong(王は悪を為しえず)」として、王は何らの責任も追及されなかった。

・これらは非民主的であると言えるのである。イギリスにおいては、「King can not do alone(王は単独ではなしえない)」という法理が作られ、

大臣の助言と承認によって行わねばならないとされた。そして、大臣と内閣は、行為の結果について連帯して国会に責任を負い、最終的に国民に責任を負うとされた。この制度により、王の絶大な権限が民主的に統制され運用されることになるのである。

・大日本帝国憲法では、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」という規定があった(大日本帝国憲法第55条)。

⇒現在の国務大臣ではなく、国務各大臣となっているため、大臣それぞれが、国会に対してではなく、天皇に対して責任を負うというものである(連帯して責任を負うのではなく、個々の大臣が個々の問題について責任を負うということである)。

そのため、軍の統制等について、天皇の権限を統制することができなかった(その結果は、誰もが知るところである。)。

⇒要するに、軍の統制を抑えることができず、日本の軍国主義は暴走したといえるのである。


【参考】

※「天皇の国事に関するすべての行為」は、通常「天皇の国事行為」と呼ばれています。 国事行為の内容については、憲法第六条と第七条に十二項目が規定されている。

・たとえば、内閣総理大臣の任命、国会の召集、衆議院の解散など、国政にとって非常に重要な事柄ばかりである。 国事行為の種類と内容については、第六条と第七条で、それぞれ解説することにして、今回は天皇の国事行為に対する「内閣の助言と承認」について学んでいきます。

※この条文は、天皇の国事行為は、内閣の「助言と承認」によって行われなくてはならないことを記しています。 したがって「誰を内閣総理大臣に任命するか」「いつ国会を召集するか」といった、国事行為の内容は、内閣が決定し、内閣が天皇に「助言と承認」を行います。

⇒そして、天皇は、内閣の「助言と承認」に従って、国事行為を行うことになる。

 

※以上の理由により、憲法に内閣総理大臣の任命などは天皇の国事行為であると明記されていますが、誰を内閣総理大臣に任命するかを天皇が自ら決定することはできません。

※また、いつ衆議院を解散するか、天皇がその日程を自ら決定することはできません。 ただし、説明したとおり、天皇が国事に関する行為の内容を自ら決定できないことは、戦前でも江戸時代以前でも同じでした。

 このことは、何も戦後に始まったことではなく、歴史的に天皇は、原則として国策を決定する立場になかったといえるのです。

※内閣の意思決定は閣議により決められます。

⇒また「助言と承認」の決定も閣議によって決定されます。 そのほか、条文に明記されているとおり、天皇への「助言と承認」は、内閣が連帯して責任を負うことになっています。

 

・大日本帝国憲法では、各大臣が天皇を輔弼(ほひつ)する責任を担っていたのです。ですあるので、その責任は内閣ではなく、それぞれの大臣が個別に直接負うことになっていたのです。これは旧憲法と新憲法の中にある大きな違いの一つです。

※ところで、天皇の国事行為の内容を決定することと、天皇への「助言と承認」を決定することは、概念的に異なるので、閣議においてはそれぞれ別のものとして決定されるのが事実です。

⇒ただし、同じ閣議で、国事行為の内容を決定すると同時に、その「助言と承認」の決定を行っても差支えないと考えられています。 たとえば、国会を召集する場合には、内閣は国会を召集する時期の決定と、「助言と承認」の決定を個別に行うものとしています。


【学説】これがめんどくさい(;一_一)

※第三条が規定する「内閣の助言と承認」の性格については、学説がいくつかに分かれます。どの学説に立つかは、象徴天皇をどのようにとらえるかによって変わってきますので、根本的な問題だといえるのです。

・国事行為についての説明は、第四条で詳しく扱いますが、ここでは、内閣総理大臣の任命、国会の召集、衆議院の解散、法令の公布などに、決められた十二種類の天皇の国事行為があることを頭の隅に置いて置くことです。

※さて、一つの学説は、「天皇の国事行為に一定の国政上の権能を認める説」(A説)です。これは少数説です。

もう一つの学説は、「天皇の国事行為に一切の国政上の権能を認めない説」(B説)です。これは最も支持の多い学説で、多数説と呼ばれています。


実際に読んで学んでみることにします。


○A説

※A説は、天皇の国事行為は実質的な意味を持つ行為であることを前提に考える説です。そして、第三条の趣旨は、天皇が単独の意思によって国事行為を行うことを禁止して、天皇の国事行為は「内閣の意思に基づくべきであることを要求」していると考えるのです。

⇒これにより、「内閣の助言と承認は、天皇の国事行為の内容を、天皇ではなく、内閣の意思によって決定するためのものと考える」ことができます。

※このようにA説は、天皇には一定の国政上の権能を持っているのですが、第三条の規定により、天皇の国事行為の内容については「内閣の助言と承認により決定される」ということになります。

※たとえば、衆議院の解散権は、憲法第七条三号を根拠に、天皇に属するが、実質的な決定権は内閣に属すると考えます。これは帝国憲法の輔弼(ほひつ)の考え方に近いものがあります。

※輔弼とは、天子・君主などが政治を行うのをたすけること。また、その任にあたる人。という意味です。


○B説

※一方B説は、第四条第一項が、天皇は国政に関する権能を持たないと規定していることから、天皇の国事行為は、国政に関する権能を持たない形式的・儀礼的行為であることを前提に考えるのです。

⇒そして、「天皇の国事行為は、実質的内容は他の国家機関によって既に決定されたものであり、その内容は内閣でも変更することができないものであるから、内閣は事務的にこれを処理するしかない」と考えます。

※これにより、内閣の助言と承認は、天皇が形式的・儀礼的な行為を行うことに対する助言と承認であって、天皇が行う国事行為の内容を内閣が決定することではないと考えるのです。

※この説によれば、衆議院の解散権は天皇に属さず、天皇は既に決定された解散を表示するだけであって、帝国憲法の輔弼(ほひつ)とは全く異なると考えます。

⇒したがって、第三条は天皇の徹底的無権能を定めた条文であると解釈することができます。


※このように、どちらの学説を支持するかによって、天皇のあり方が根本的に思考の部分で変わってくるのです。

⇒この問題は、憲法が成立した理論をどのように捉えるかにもよります。A説は、日本国憲法は帝国憲法を改正したものであるという憲法改正説を前提にしていますが、B説は、日本国憲法は革命によって成立したという「八月革命説」を前提にしているとしています。


※そして、A説は現在の天皇は、大戦終結前の天皇と一定の連続性があることを前提としますが、B説は、現在の天皇と、かつての天皇に一切の連続性を認めないことを前提としているのです。

※ここで、A説とB説への批判をそれぞれ見てみましょう。A説には次のような批判があります。


【批判A説】

※日本国憲法の象徴天皇を、帝国憲法の天皇と一定の連続性を持ったものとして考える場合、象徴天皇としての権威を、帝国憲法の天皇と重ね合わせることになり、憲法が認める以上に天皇が強い権威を持つことになる恐れがあり、不適切であるとする。

⇒具体的には、日本がかつてのように神権主義や軍国主義に走る結果を招くという実質的な考え方です。

 

※果たしてその根本的な考えはそうでしょうか。A説とB説のいずれをとっても、天皇は内閣の助言と承認によって国事行為を行う存在ですから、天皇が自ら国事行為の内容を決定することは明らかにできません。

※とすれば、A説をとることにより、天皇が特定の国家機関に操られて国が暴走するようなことは到底想定されません。あくまでもこれは、権力ではなく、その権威の問題となります。

 

※もし仮にA説をとることで、天皇が強い権威を持ったとしても、結局のところ天皇には国事行為の内容を決定する権力は持っているわけではなく、国政におよぶ不都合が生じるとは考えられないのです。

⇒むしろ、天皇は歴史的に強い権威を持ち続け、それが現在に続いているからこそ、天皇は憲法第一条で示すとおり、「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」なのです。

※まして、現在の日本の政治では政教分離が神経質なまでに徹底されていて、自衛隊の文民統制も行き届いている事実もあり、神権主義や軍国主義を心配する必要はないと思われます。

しかしながら、いま問題とされる集団的自衛権の問題もあり、その重要な局面で日本がいかに考え、その不戦国家の形態を示すかがカギとなるのです。


※ところで、B説には次のような批判があります。

【批判B説】

※もし、第三条が天皇の徹底的無権能を定めたものであるなら、内閣の助言と承認自体が、全く無意味になってしまいます。憲法がそのような無意味なことを内閣に要求しているとは到底考えられるわけではないとします。

⇒また、B説によれば、衆議院の解散権の所在が説明できない部分もあります。なぜなら、衆議院の解散は憲法では第七条が列挙する天皇の国事行為に見えるだけで、他の条文には、その明文が存在しないからです。

※A説のように、第七条により衆議院の解散権は天皇に属するも、第三条によりその実質的決定権は内閣に所属すると考える他、衆議院の解散権の所在を説明する方法が見当たらないのです。

⇒これに対しては、B説の支持者から、議院内閣制からの帰結として内閣の解散権を説明できるという意見もありますが、この考え方は、相当説明上のこと苦しいでしょう。

 

※B説の支持者たちは、それでも神権主義や軍国主義に走る危険性を考慮すれば、B説を支持すべきことを説きますが、大事な意味は日本の取るべき姿勢である「不戦主義」の価値です。

⇒要するにいかに戦争をする時代に終止符を打つか…。


かいひろし法律の部屋

今学んでいる法律の学問を記します。

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