憲法条文整理 第20条

第20条 【信教の自由】  

第1項 信教の自由は、「何人に対してもこれを保障する。」いかなる宗教団体も、国から特権を受け、 又は政治上の権力を行使してはならない。  

第2項 何人も、「宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」  

第3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。 


 重要度:4  

メモ書き: 解説等

【解説】 

○趣旨 

・明治憲法下では、信仰の自由は、いわゆる国家神道と両立する限度で認められているにすぎなかったことである。

※そのような意味もあり、戦後の日本では、本条で、信教の自由を保障するとともに、国による宗教活動の禁止を明確に規定している。   

・「 信教の自由 」 は、「 信仰の自由 」「 宗教的行為の自由 」「 宗教的結社の自由 」 の3つに分けられる。

1「 信仰の自由 」とは、「各人が特定の宗教を信仰する自由または信仰しない自由、信仰する宗教を変更、 放棄したりする自由」などを意味する。 

2「 宗教的行為の自由 」 とは、「各人が宗教上の礼拝や祈祷その他の宗教上の行為に参加し、またはこのような行為をしない自由などを意味」し、何人もこのような宗教上の行為を強制されることない。

3「 宗教的結社の自由 」 とは、宗教団体を設立したり、それに加入したりする自由、またそのような行為をしない自由などを意味する。

 ・ただし、このような信教の自由も、絶対的に保障されるわけではなく、他人の権利や利益と衝突する場合には 必要最小限度の制限を受けることもあることに注意。   


・本文3項に関しては、首相の靖国神社参拝が問題とされている。

⇒首相は常に国民を代表する立場であり、 玉串料を出し、神式の拝礼方式で参拝を行う以上は、国の行う宗教活動として、原則として憲法に反すると考えられることになる。 


○参考 

・信教の自由は、各国の人権宣言で規定されている。

ア)アメリカ   

・1791年に成立したアメリカ合衆国憲法修正1条規定 

連邦議会は、国教を樹立し、又は宗教上の行為を自由に行うことを禁止する法律を制定してはならない」と規定し、信教の自由を政教分離の原則と並べて保障している。  

 イ)フランス   

・1789年の人権宣言10条規定 

何人も、その意見の表明が法律によって定められた公の秩序を乱さない限り、たとえ宗教上のものであっても、その意見について不安をもたされることがあってはならない」と定め、1905年の政教分離法により初めて政教分離の原則が認められた。   

・1958年憲法では、フランスは「非宗教的共和国である」(2条)と定めている。   

ウ)ドイツ   

・1919年のワイマール憲法

信仰および良心の完全な自由」並びに 「妨害されることのない宗教的行事」の自由(135条)を保障し、さらに、政教分離について「国教会は存在しない」(137条1項)と定めている。   

・現行のドイツ基本法は、信仰の自由(4条1項)を保護するとともに、政教分離に関するワイマール憲法の諸規定が、「この憲法の構成部分である」(140条)と規定している。 


エ)日本の場合

※日本でも、明治政府が誕生した当時は、江戸時代からのキリスト教禁制が続いていたが、外国からの圧力等がありこの禁止が解かれている。

・戦前の憲法第28条には、「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」という規定があるのだが、この憲法の根本部分は「神権天皇制」であり、天皇の祖先を神々として崇めるという考えを、その他の宗教と同列に扱うことはできなかった。 

⇒つまり、「天皇崇拝の精神的基礎を固めるために、天皇の神格の根拠としての神社に対して国教的性格が与えられていた。

A)例えば、神宮や神社には公法人の地位、神官や神職には官吏の地位が与えられていたのである。

B)神社は内務省神社局(後の神祇院)の所管であったが、その他の宗教に関する行政は文部省の所管であったこと。

C)一般国民は神社参拝が強制されていた事実があり、公務員に対しては公の儀式として行われる神社の儀式に参列する義務があった。 

※このように信教の自由とは矛盾した面があったのであるが、当時の政府は、「神社は宗教にあらず」としていたため、信教の自由には反しないとされていたことである。

⇒また、条文中に、「臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」と書かれていたこともあり、神社の信教は国民の義務に属するため、憲法には違反しないという考え方もされていたである。 

※つまり、戦前の日本の信教の自由というものは、神社の「国教的地位が前提」にあり、これに背かない範囲内で認められていたということである。 

※ こうした状態は、いうまでもなく敗戦により終止符が打たれることとなり、昭和20年12月15日に、国家神道の禁止に関する指令によって、神社の国家的な地位は廃止されている。

⇒また、翌年の1月1日に、天皇は自ら、「天皇の人間宣言」をしている。 


信教の自由とは

・本条が規定する信教の自由とは、以下のような意味がある。 

・内心における宗教上の信仰の自由のことである。 

⇒これは、思想及び良心の自由の一部をなすものであり、ある特定の宗教を信じるまたは信じない自由のことである。さらに、自分の信じる宗教について、沈黙を守る自由もこれに含まれる。  

・宗教上の信仰を外部に発表したり、その宗教を宣伝する自由のことである。

⇒これは、表現の自由の一部をなすものであり、宗教的行為の自由のことを意味するのである。これは、集会し、結社する自由の一部をなすものであるとされる。 

・これらの自由を完全に保障するためには、政教分離の原則が必要不可欠であり、宗教団体は国から特権を受けないことになっている。 

・宗教法人は、法人税法第7条で、

内国法人である公益法人等又は人格のない社団等の各事業年度の所得のうち収益事業から生じた所得以外の所得及び清算所得については、第五条(内国法人の課税所得の範囲)の規定にかかわらず、それぞれ各事業年度の所得に対する法人税及び清算所得に対する法人税を課さない。」と規定されている。

⇒これは、公益法人や学校法人などと並んで、法人税が課されないことになっている。これについては、一般に各種の非営利的な法人の一定の所得に対して免税しようとした結果、宗教法人もその恩典に浴したに過ぎないため、特権を受けたことにはならないと考えられている。


 ○重要判例 

• 傷害致死被告事件(最高裁判例 昭和38年5月15日)

 • 津地鎮祭訴訟 - 1977年(昭和52年)7月13日 最高裁 合憲 

 争点:地鎮祭は、第20条第3項で禁止されている宗教的活動か。

  ※最高裁判決:

 社会の一般的慣習に従った儀式を行うという世俗的なもので、宗教的活動にはあたらない。


 • 自衛官合祀訴訟 - 1988年(昭和63年)6月1日 最高裁 合憲

 殉職した自衛官について、隊友会の地方組織が自衛隊の事務協力を得て県護国神社へ合祀の申請をし、合祀されたが、自衛官の妻がこれを自衛官の意思に反するものと主張し、信教の自由や政教分離の原則に違反するとして、国と県連を相手に訴えを起こした事案。

(判決)

 • 山口地裁:違憲。広島高裁:違憲。

 最高裁判決:合祀の申請は県連の単独で行われ、国は補助的であるため政教分離には違反しない。 


• 箕面忠魂碑訴訟 - 1993年(平成5年)2月16日 最高裁 合憲 

(判決)

• 大阪地裁:違憲。大阪高裁:合憲。

 最高裁判決:宗教施設に該当しない。慰霊祭への参列も宗教的活動にはあたらない。


 • 剣道実技拒否訴訟 - 1996年(平成8年)3月8日 最高裁 原告勝訴

 • 公立の高等専門学校に在籍していた生徒が、宗教上の理由で必須科目の体育の剣道の実技への参加を拒否したことで、原級留置となりその後退学処分を受けた。そこで、その処分の取り消しを求め、生徒本人と両親が訴えを起こした。 

 争点:宗教的中立をとる公教育の場で、個人の信教の自由は、どこまで配慮されるのか。 

(判決)

 最高裁判決:信仰上の真摯な理由から剣道実技に参加できない学生に対し、レポートの提出等代替措置をとることは、第20条第3項の政教分離の原則に違反しない。


 • 愛媛玉串料訴訟 - 1997年(平成9年)4月2日 最高裁 違憲 

• 愛媛県は、靖国神社の例大祭やみたま祭りに玉串料等として公金を支出した。これに対し住民が知事らを相手取って住民訴訟を起こした。 

 争点:靖国神社への玉串料の支出は、宗教的活動か。

(判決)

  最高裁判決:宗教的活動にあたり違憲である。 

• その他、1990年(平成2年)に行われた大嘗祭の知事参列等をめぐる公金支出をめぐって、各地の住民が住民訴訟を提起したが、いずれも合憲である。  

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