憲法のお勉強34

学習テキスト

(二)政教分離の限界(目的・効果基準)続き

1「箕面市忠魂碑・慰霊祭事件判決」

・この事件は

①箕面市が市遺族会の所有管理する忠魂碑の敷地として市有地を無償貸与し、かつ、その敷地への移転費を市費から支出したことが憲法第20条第三項および第89条に違反するとして争われた事件

②市遺族会が忠魂碑前で神式・仏式で行った慰霊祭に市教育長が参列し、また市職員や市費を用いてその準備に当たらしめたことが同じく第20条第三項・第89条に反するとして争われた事件。


※争点は二つある。

※第一の事件(第一審たる大阪地裁昭和57・3・24)

忠魂碑は宗教上の礼拝の対象となっており、宗教的行事に利用される宗教施設であるから、右の市の行為は第20条第三項・第89条に違反する。

※第二の事件(第一審たる大阪地裁昭和58・7・1)

市教育長の参列は第20条第二項により強制され得ないものであるからその私的行為と見るほかないから、その参列した時間分の給与は不当利得となり、市に返還する義務があるとした。


(高裁の判断)

※大阪高裁昭和62・7・16

⇒この両事件の控訴審判決

いずれも第一審判決を斥けたのであるが、特に慰霊祭の性質およびそれへの公務員の参列行為について、さきの最高裁の津地鎮祭事件判決おいて適用された「目的・効果基準」を用い、それらを違憲ではないとし、政教分離原則を緩和したものとして判断されている。

※この判決は次のように判示している。

①本件忠魂碑は「専ら戦没者の慰霊・顕彰のための記念碑として認識されており、宗教的性格を有するものではない。」

②憲法第20条一項の「宗教団体」および第89条の「宗教上の組織もしくは団体」は宗教的活動を目的とする団体をいうと解すべきであり、

遺族会は遺族の相互扶助・福祉向上などを主たる目的とする団体であり、宗教団体ではなく、本件慰霊祭もその本来の任務を遂行する上に臨時的に行う行事であるから、遺族会に対する市費の支出やその行う慰霊祭のための市費の支出は「宗教団体」に対する公金の支出には当たらない。

③本件慰霊祭の目的は専ら戦没者の慰霊・顕彰という習俗・社会儀礼として行われるものであり、教育長の参列も「社会的儀礼」としてのものであり、従ってそれはその目的および効果から見て「その目的が宗教的意義をもち、かつ、その効果が宗教に対する援助・助長・促進または圧迫・干渉になるような行為であるということはできないから、憲法第20条第三項にいう宗教的活動に該当しない。」従って、また、教育長の参列行為はその職務にかかわる公的行為である。

※この判決については、「目的・効果基準」が用いられることによって、政教分離の原則がいよいよ緩和されるのことになるのではないかという問題が浮上する。


※上告審判決(最高裁平成5・2・16)

⇒右の控訴審判決を基本的に支持したものであり、同様に問題があると思われる。この上告審判決は次のように判示。

①忠魂碑は「元来、戦没者記念碑的な性格のものであり…

神道等の特定の宗教とのかかわりは、少なくとも戦後においては希薄であり、本件忠魂碑を靖国神社または護国神社の分身(いわゆる村の靖国)とみることはできない。」

②市のなした行為は「いずれも、その目的は、小学校の校舎の建替等のため…右施設の移設・再建を行ったものであって、

専ら世俗的なものと認められ、その効果も、特定の宗教を援助・助長・促進しまたは他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められない。したがって、市の右各行為は、宗教とのかかわり合いの程度がわが国の社会的・文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本的目的との関係で相当とされる限度を超えるものとは認められず、憲法第20条三項により禁止される宗教的活動には当たらないと解するのが相当である。」


③ 憲法にいう「宗教団体」または「宗教上の組織若しくは団体」とは

「宗教と何らかのかかわり合いのある行為を行っている組織ないし団体のすべてを意味するものではなく」、「特定の宗教の信仰・礼拝または普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体を指すものと解するのが相当である。」そして、遺族会は右のような組織ないし団体には該当しないものと解するのが相当である。


④ 市教育長の本件慰霊祭への参列は、その目的は

「戦没者遺族に対する社会的儀礼を尽くすという、専ら世俗的なものであり、その効果も、特定の宗教に対する援助・助長・促進または圧迫・干渉等になるような行為とは認められない。」したがって、その参列は「宗教とのかかわり合いの程度がわが国の社会的・文化的諸条件に照らし…相当とされる程度を超えるものとは認められず、憲法上の政教分離原則及びそれに基づく政教分離規定に違反するものではないと解するのが相当である。」


2「靖国神社玉串料等のための公金支出事件判決」

・上述の箕面市忠魂碑・慰霊祭事件判決について、「目的・効果基準」が用いられることにより、憲法が定める政教分離の原則が緩和されることとなっていることを指摘したのだが、

⇒この傾向は、たとえば地方公共団体が靖国神社への玉串料・献燈料等を公金から支出する行為に関する事件の判決についてもみられる。次のような諸判決がある。

※盛岡地裁昭和62・3・5判決は、同様に

「目的・効果基準」を用いて、それは戦没者の慰霊などのための社会的儀礼としての行為であり、宗教的活動ではないとした。

ただし、これと同様の事件について、

同じく「目的・効果基準」を用いながら、反対に、その支出の目的・効果が宗教的意義をもつことは否定できず、また地方公共団体と靖国神社との結びつきは憲法の定める政教分離の原則に照らし、相当とされる限度を超えているものというべきであり、違憲であるとした判決もあることが注目される。

※また上記の盛岡地裁判決の控訴審判決たる仙台高裁平成3・1・10判決では、

靖国神社への玉串料の県費からの支出について、これを違憲ではないとした原審判決を斥け、玉串料の奉納は戦没者追悼という世俗的・儀礼的な目的の側面を有するが、

同時に、その祭神に対して尊敬崇拝の念を表すことを指向してなされるという宗教的側面を有し、この二つの側面は不可分であるから、玉串料奉納の宗教性は「戦没者追悼という世俗性によって排除ないし希薄化されるものではない、とし、

またその支出は靖国神社への関心を呼び起こし、その宗教活動を援助する効果をもたらし、県と同神社へのかかわり合いは相当とされる限度を超えるものと判断するのが相当であり、

従ってその支出は、憲法第20条第三項の禁止する宗教的活動に当たり、違憲である、とした。

※この判決も、ひとしく「目的・効果基準」を用いて、その基準を厳格に適用することにより、政教分離の原則を厳格に解したといえるのである。


3「殉職自衛官合祀事件判決」

・国の行政機関たる自衛隊山口連絡部が山口県隊友会(社団法人である自衛隊後援団体)と共同して、殉職自衛官の山口県護国神社への合祀申請を行ったのに対し、クリスチャンたるその妻が、明示的に合祀を拒否したにもかかわらず亡夫を靖国神社に合祀することはその信仰の自由の侵害であるとしてして、損害賠償と合祀申請手続きの取消を求めたという事件。

※第一審判決は

①本件合祀は、他人から干渉を受けることなく自らの信仰に従って亡夫を追慕するという妻の信仰の自由(「宗教上の人格権」)を侵害するものであり、

②合祀申請行為は合祀(祭神として合祀し公衆の礼拝の対象とすること)の前提をなす宗教的意義を有し、護国神社の宗教を助長・促進する行為であるとして、原告の主張を認めた。第二審の広島高裁昭和57・6・1判決も第一点について原審判決を支持している。

※上告審判決は次のように判示している。

①信教を理由とする不利益な取扱いがなされたり、宗教的行事への参加の強制のような宗教上の強制がなされた場合には、

信教の自由の侵害があったというべきであるが、本件の合祀申請によってこのような侵害がったとはいえない。「宗教上の人格権」とされる静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送る利益は直ちに法的利益として認められるべきものではない。

②地方連絡部の職員は

隊友会が単独に行った合祀申請手続きに事務的・側面的に協力したに止まり、従ってこの申請行為は国の機関としての行為ではない。

また、申請行為は合祀の前提としての法的意味をもつものではなく、

その手続の過程における地方連絡部職員の協力行為も、その「目的」は自衛隊員の社会的地位の向上とその士気の高揚を図ることであり、その「効果」も特定の宗教を援助・助長・促進し、また他の宗教に圧迫・干渉を加えるような効果をもつものと一般人から評価される行為とは認められない。

③従って、被上告人(妻)の法的利益の侵害の問題は

合祀それ自体が法的利益を侵害したがどうかの問題として、しかも護国神社と被上告人との間の私法上の関係の問題である。

そして、私人相互間においても信教の自由が強制・圧迫・禁止される場合など社会的に許容し得る限度を超えるときは法的保護が与えられるべきであるが、

自己の信仰生活の静謐を他者(護国神社)による合祀という宗教上の行為によって害されたという宗教上の感情は直ちに法的利益として認めることはできない。


※この上告審判決には次のような問題がある。

①他人から干渉されずに、静謐な環境の下で信仰生活を送る自由は仮に厳格な意味での法的利益ではないとしても、

「宗教上の人格権」あるいは「宗教上のプライバシー」として、私法上・不法行為法上、保護されるべき利益であるといえるのではないか。

②この合祀申請は合祀に至る全体の過程の中で総合的に捉えるべきであり、

その過程における地方連絡部職員の関与は、合祀という極めて宗教的な行為を目的としたものであり、その意味で、その協力行為も隊友会との共同行為としての「宗教的活動」と見るべきものではないか。

③なお、判決は、私人相互間においては、宗教的行為をなす自由は何人にも保障されており、

「信教の自由の保障は、自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して…寛容であることを要請している」とし、その「寛容」すなわち受忍を被上告人(妻)に求めているのであるが、本件の場合、もしも「寛容」を求めるのであれば、それは護国神社に対して求められるものではないか。という意見がみられる


④「靖国神社公式参拝要望決議事件判決」

・前に掲げた仙台高裁平成3・1・10判決は、靖国神社への玉串料の県支出を違憲としたほか、県議会が行った靖国神社への天皇・閣僚の公式参拝を要望する議決を違憲としたことが注目される点である。

※原審判決たるさきの盛岡地裁判決は、この件については、県議会の行ったこの議決は単なる事実行為としての意見の表明とし、それ自体が法的効果を伴わないものであり、違憲・無効の問題を生じないものであるとして、その決議の内容については判断しなかったのだが、これに対し、この判決は同決議の内容について審査し、次のように判示して、違憲であるとしている。

①閣僚が公的資格において参拝することは、

その目的が戦没者に対する追悼であっても、特定の宗教法人たる靖国神社の祭神に対する拝礼という面をも有しているといわざるを得ず、

それは国またはその機関が靖国神社を公的に特別視し、優越的地位を与えているとの印象を社会一般に生ぜしめるという効果をもたらす。すなわち公式参拝における国と靖国神社との宗教上のかかわりあいは、憲法のよって立つ政教分離の原則に照らし、相当とされる限度を超えるものと断定せざるを得ない。

※従って、公式参拝は憲法第20条三項の禁止する宗教的活動に当たり、違憲であり、そのような公式参拝を要望する決議もまた違憲であるとしている。

②さらに、天皇の公式参拝は、

天皇が皇室における祭祀の継承者である点をも考え合わせると

閣僚の公式参拝とは比べられないほど、政教分離の原則との関係において、国家社会に計り知れない影響を及ぼすといえる。

(参考判例)

「大喪の礼および即位の礼と政教分離の原則」

※「大喪の礼」および「即位の礼」は天皇の行う「儀式」として「国事に関する行為」とされ、平成元年2月24日の「大喪の礼」および平成二年11月12日の「即位の礼」が行われた。

※この「大喪の礼」に伴う「葬場殿の儀」と、「即位の礼」に伴う「大嘗祭」は皇室の信仰である神道による儀式とされ、従ってそれらを国の行事として行うのであれば、それは国が宗教的活動として儀式を行うことと理解でき、政教分離の原則に反するかが問題となる。

(判示)

・県知事の大嘗祭への参列の目的は、

天皇の即位に伴う皇室の伝統儀式に際し、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇に対する社会的儀礼を尽くすものであり、

その効果も、特定の宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるようなものではないと認められる。

したがって、県知事の大嘗祭への参列は、

宗教とのかかわり合いの程度が我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、

信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとは認められず、憲法上の政教分離原則及びそれに基づく政教分離規定に違反するものではないと解するのが相当である。


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