憲法のお勉強33

学習テキスト(gooブログでは34)


(二)政教分離に限界(目的・効果基準)

 ※「政教分離と第89条」

・憲法第89条は、宗教上の組織や団体に対して、公金その他公の財産を支出したり、その利用に供してはならないことなどを定めているが、

これは政教分離の原則を国の財政の制度の面から具体化している。

※従って、国およびその機関が何らかの宗教的活動を行い、そのために国がその経費を支出するという場合には、それが第20条および第89条の双方に違反しないかどうかが問題とされる。


※政教分離の原則に反しないかどうかが問題となった事例のうち、その主要な事例として次のものが挙げられる。

①「靖国神社法案」

・いわゆる「靖国神社国家護持」の実現を目的とする靖国神社法案がいく度も国会に提出された。

⇒だが、不成立に終っている。

※すなわち、現在、靖国神社は他の神社・寺院・教会などと同じく、宗教法人法二条に基づく宗教法人であるが、この法案は、これを明治憲法下におけると同じく国の経営・管理に写し、国の手によって戦没者の英霊を慰め、その事跡をたたえる儀式・行事を行うこととし、その役員の人事は国が行い、その業務に要する経費の一部を国が負担および補助することとするものである。

・この法案は右のような靖国神社の戦没者慰霊の儀式・行事は神道の進行とは関係のない儀式・行事であって、憲法にいう「宗教的活動」ではないから第20条・第89条に違反するものではないという見解に基づく。

・しかし、靖国神社は、宗教法人靖国神社規則においても、

①国事に殉じた人々を「奉斉」し「神道の祭祀を行い、その神徳をひろめ」、

②「斉神の遺族その他の宗教者を教化育成」することをその事業とし、

③その儀式・行事は神道による祭祀の儀式・行事

として行われている。

※結局、これを国の経営・管理に写すことは、

①国が宗教的活動を行うことであり、

②他の宗教団体と異なる特権を与えることにほかならない。

⇒もしも、国が宗教とは関係のない儀式・行事として戦没者などの慰霊の儀式・行事を行うものとする場合には、それは非宗教的な施設において、また特定の宗教の儀式によらない形において行わなければならないと考えられる。

・この法案は、

①靖国神社の創建の由来にかんがみてその名称を踏襲したものであって、

②靖国神社を宗教団体とする趣旨のものと解釈してはならない

と定めていたが、

⇒もしも宗教団体ではないものとしようとするのであるならば、

①その施設の形態(社殿・鳥居など)や儀式の方式も非宗教的なものとするとともに、

②その名称も、たとえば「靖国廟」・「戦没者慰霊堂」などに改める必要があると考えられる。

※現在、毎年の終戦記念日(「戦没者を追悼し平和を祈念する日」)において、国の主催する行事として戦没者追悼の式典が行われるが、それは非宗教的な場所において、また非宗教的な儀式の形において挙行されている。それが第20条の政教分離の原則に忠実なものというべきである。

※実際のことを言うが、神に宮では石や木の柱を立ててはならないと記されているのは事実なのだが。


※「閣僚の靖国神社公式参拝の問題」

・このように、靖国神社法案が不成立となる状況の下において、現在のままの靖国神社に内閣総理大臣など閣僚が、私人としてではなく、その閣僚たる資格において公式に参拝することを要望する運動が展開され、このような公式参拝は第20条第三項の禁止する「国の機関の宗教的活動」に当たり、違憲ではないかどうかが論議されることになる。

・政府は、「このような参拝が違憲ではないかとの疑いをなお否定できない」とし、この立場から、閣僚の参拝等は差し控えることを方針としてきたのである。

⇒しかし、昭和60年、「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」の報告が

「政教分離原則に関する憲法の趣旨に反することなく、また、国民の多数に支持され、受け入れられた形」での公式参拝を実施する方途を検討すること…

すなわち

「社会通念に照らし、戦争の犠牲者の追悼の行為としてふさわしいものであって、かつ、その行為の態様が、宗教との過度の癒着をもたらすなどによって政教分離原則に抵触することがないと認められる適切な方式を考慮すべきである」としたこと。

※この新しい見解については、靖国神社が従来のままの「神社」である以上は、政治家が単に一礼するという拝礼の形式に改めるのみでは、なお宗教活動としての参拝であることは否定することはできず、従ってその参拝自体が違憲であるというべきである。


【判例】

①「津市地鎮祭事件判決」

・津市が市体育館の起工に当たり、神道固有の儀式による地鎮祭を行い、それに要する費用として市の公金を支出したのに対し、右の行為は憲法第20条・第89条に違反するとし、地方自治法第242条の2に基づき、市長はその支出した金額を市に対して賠償するよう請求した事件である。

※第一審

※この判決は、本件地鎮祭は神道の布教宣伝を目的とする宗教的活動でもなく、また宗教的行事というよりは工事の無事平安を祈るための行事として広く習俗として行われている「習俗的行事」たる性質をもつものであるとし、地鎮祭の挙行および公金の支出は違憲ではないとした。

※第二審

・この判決は次のような理由で、本件地鎮祭の挙行を違憲とした。

【判示】 

・憲法にいう「宗教」とは超自然的・超人間的本質(神・仏・霊)の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為を指す。神社神道は祭祀中心の宗教であり、自然宗教的・民族宗教的な特色を有するが、宗教学上および国法上も宗教であることは明らかである。

・宗教的行事が宗教的色彩を失い、習俗化する現象があることは認められるが、習俗的行事といいうるためには、すべての国民が各人のもつ宗教的信仰にかかわりなく、抵抗なしに受け容れられるほどの普遍性をもつものであることを要するが、神道儀式の地鎮祭はいまだこのような習俗的行事とはいえず、宗教的行事というべきである。

※なお、この判決は、政教分離の原則の目的について、次のように述べているが、この点は極めて正当である。

・「特定宗教に対する国家の政治的・財政的援助は、当該宗教に対する人々の尊敬を失わせ、その腐敗堕落を醸成する。

すなわち宗教は世俗的権力の介入を許すことができないほど、余りに個人的であり、神聖であり、かつ至純なものである。

⇒政教分離の原則は、宗教を敵視し、これを無力化することを目的とするものではなく、国によって定められた宗教と宗教的迫害が手をたずさえるものであるという歴史的事実の自覚の上に基礎をおいているのである。」

※上告審判決

・上告審判決は、一方では政教分離原則を緩やかに、また弾力的に解釈するとともに、他方、憲法第20条第三項の禁止する「宗教的活動」の意味を厳格に解することによって、本件地鎮祭の挙行を違憲ではないとした。その判旨の要点は次のとおりである。

・「政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的および効果にかんがみ、そのかかわり合いがそれぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合に、これを許さないとするものであると解すべきである。」

・憲法第20条第三項の禁止する宗教的活動とは、右の政教分離原則の意義に照らせば、国およびその機関の宗教とのかかわり合いをもつすべての行為ではなく、「そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意味をもち、その効果が宗教に対する援助・助長・促進または圧迫・干渉等になるような行為をいう。宗教上の祝典・儀式・行事等であっても、その目的・効果が前記のようなものである限り、当然、これに含まれる。」

・いかなる宗教的行為が憲法第20条第三項の禁止する宗教的活動に当たるかの判断に当たっては、

「当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図・目的および宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果・影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない」。

・「本件起工式は、宗教とのかかわり合いをもつものであることは否定し得ないが、その目的は建築着工に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願い、社会の一般的慣習に従った儀式を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助・助長・促進しまたは他の宗教に圧迫・干渉を加えるものとは認められないのであるから、憲法第20条第三項により禁止される宗教的活動には当たらないと解するのが相当である。」


※この上告審判決の問題としては次の諸点が挙げられる。 

a この判決は、第一審判決にくらべればはるかに詳細な理由を挙げてはいるが、その結論として、本件地鎮祭を世俗的・習俗的行事であるとし、従って第20条第三項の禁止する宗教的活動ではない、とする点では一致している。従って、それをいまだ習俗的行事とはいい得ないとした第二審判決の立場からは、当然に批判が加えられるべきである。

b この判決は、本件地鎮祭が「宗教とのかかわり合いをもつものであることは否定し得ない」とした上で、その「目的」が建築着工に際し工事の無事安全を願うという社会の一般的慣習に従った儀式を行うという世俗的な目的であり、またその「効果」が神道を援助・助長・促進し、または他の宗教に圧迫・干渉を加えるという効果をもつものではないことを理由として、それが「宗教的活動」には当たらないとし、また、その「宗教とのかかわりあい」が相当とされる限度を超えるものではないとした。

 

※この判決における右のような理由づけ(合憲性判断の基準)はアメリカにおける政教分離の原則の適用に関する多くの判例を通して判例法によって形成されてきたところのいわゆる「目的・効果基準」に従ったものということができる。

 

※アメリカの判例法条の「目的・効果基準」とは、国の宗教とのかかわり合いを許す立法が禁止の限界を超えないためには、

①法律が、世俗的な立法目的をもたなければならない、

②その主要な、また第一次的効果が、宗教を助長したり、禁止したりするものであってはならない。

③法律が「宗教との過度のかかわり合い」を促進してはならない、の三つの要件をすべて満たしていることを必要とする、という基準である

(代表的なものとして連邦最高裁判所のいわゆるレモン事件判決)。

⇒この「目的・効果基準」は、たとえば国が特定の宗教に基づく私立学校に対して、その経営を維持するための経済的援助を行うという場合は、その「目的」が学校の経営に対する援助という世俗的目的と判断され、その「効果」がその宗教そのものの助長という効果ではなく、またそれが「過度のかかわり合い」を促進するものではないとして、合憲であるとする場合などには、まさに厳格で、且つ妥当基準であるといえる。

※しかし、本件地鎮祭のように、国(地方公共団体)がそれ自身宗教的行為の性質をもつ行為を行い、それが政教分離の原則に反しないかどうかが問題となる場合について、直ちにこの基準を用いることの上告審判決と第二審判決との間に見られるような評価の対立がありうる。

⇒また「過度のかかわり合い」にならないかどうかについても見解の相違があり得る。

 

※この場合の、上告審判決は、何が禁止される「宗教的活動」に当たるかについては、前に掲げたように、それに対する一般人の宗教的評価・宗教的意識その他の諸般の事情を考慮していること。

⇒そして、社会通念に従って判断しなければならない、とするところであるが、この見解は第二審判決も指摘したわが国における国民大衆の宗教意識からの実情からすれば、現実的・実際的な見解であるともいえる。

※また、その反面において、それは政教分離の原則を緩やかに解して、その意義を弱めるものではないかという批判を免れないことも考えられる。


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