憲法のお勉強 第27日

二 法の下の平等

1 平等の観念の歴史

※フランス革命~アメリカ独立宣言

・人はすべて自由且つ平等であるということがフランス革命の理念であり、フランス革命の指標は、「自由・平等・博愛」をうたい、その人権宣言は、第一条で「人は出生および生存において、自由であり、且つ権利において平等である」としている。

また第六条で「すべての市民は法の眼からは平等である」としている。

・アメリカの独立宣言においても、「われらは次の如き原理を自明のことと信ずるとし、すべての人は平等に造られ、各々造物主によって、一定の不可譲の権利を賦与せられ、これらの権利の中には、生命、自由および幸福追求の含まれることを信ずる」との有名な一句がみられたのである。

※このような平等の原則は、それ以後各国憲法にとりいれられ、近代憲法における権利章典の不可欠の要素となる。


※日本における明治の平等原則

・日本においては、明治維新により封建的な身分制度を廃止して「四民平等」の原則を達成しようとしたものであり、その原則は明治憲法においてもとり入れられることになる。

⇒しかし、それは極めて不徹底なものであったと言わざる負えない。

※明治憲法では、この原則そのものを宣言した規定は存在せずに、ただ単に第19条が「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」と定めたのみで、この「均ク」という二文字において平等の原則が僅かに現れていたにとどまっている。

⇒しかも実際においては、華族の制度が認められ、華族は貴族院議員となること、その他の特権を与えられていたのは事実であり、民法における華族制度はそれをむしろ当然のこととして前提としていたのである。

・また、明治憲法における両性の不平等は、女子には参政権を与えないというような法律制度上においてだけでなく、社会的・経済的な分野においても、女子は男子と差別されることは当然であるとする思想が強かったのが実情であり、平等の原則は法的にも不徹底であったばかりでなく、国民生活のあらゆる分野において、いまだ封建制的な身分による差別の伝統が根強く存在し、それがむしろ法的な不平等の原因となっていた。


※日本国憲法第14条の原則と時代の変化

・そして戦後に、日本国憲法が施行され、その第14条が「平等の原則」を直接に明示し、また特にその後段においては詳細に「政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定めている意味は、日本における不平等の原則の伝統に対する根本的な改革の意味をもつことになる。

⇒日本国憲法が「自由」とともに平等の原則を明記したことの意味は上述のような次第であるが、ここで注意しなければならない部分は、この「自由と平等の関係」である。なぜならば「自由」と「平等」とは、場合によっては相互に相容れない要求であることがあるからである。

・各人の性別・年齢・能力・財産などに差違がある以上、各人の自由を尊重すれば、そこに実際上の不平等が生ぜざるを得ないのであるし、これに対して、各人のこの不平等を是正しようとすれば、各人の自由を制限せざるを得ないことになるからである。

⇒そこに、平等とは「機械的・形式的な平等」ではなく「合理的・実質的な平等でなければならない」といわれる理由が存在するのであり、また正義の観点からいえば、いわゆる平均的正義ではなくいわゆる「配分的正義」でなければならないとされる理由もその意味にあるのである。

・そして、自由と平等とのこのような抵触は、近代社会の特徴として顕著に時代に現れてくるようになる。

⇒近代憲法が自由と平等の二つの原理を掲げた意味は、封建制の下における身分的な差別と、その身分に基づく支配服従関係から個人を解放し、人間の自由を確保することを目指すものである。

・しかし時代は、このようにして形式的な「自由と平等とは与えられたけれども、そこには富める者と貧しき者との間に実質的な不平等が生じる現実が顕著になり、基本的人権としての財産権が保障されたことは、同時に、各人の間における財産の不平等と「失業の自由」をもたらすこととなったのは事実ある。

・そこに、現代的なな憲法が、従来のように単に自由と平等とを抽象的に宣言するだけでは満足せず、一方においては富める者の財産権すなわち自由を制限するとともに、すべての国民の「実質的且つ社会的な平等を実現するために、生存権的基本権の保障に重点を置く」こととなることが重要な意味をなすに至るのである。


かいひろし法律の部屋

今学んでいる法律の学問を記します。

0コメント

  • 1000 / 1000