刑法のお勉強 第12日

※「学派による争い」と後の論争展開

1、刑法の基本原理に見られる争いは、学派同士の争いとして発展することになり、論争を続けることになる。

⇒18世紀の初めにかけて、自然法的な思想を根拠にして「罪刑法定主義」の形が出来上がり、アンシャン・レジームの「罪刑専断主義」に対し激しい論争を展開し、そして20世紀の序盤にかけて、ドイツにおいて「社会的自由刑法と権威刑法の思想」をめぐり、「自由刑法か権威刑法か」を中心に展開されることになる。

2、この意味はまさしく学派同士の争いといえることであり、19世紀の末ごろから20世紀の初頭においてドイツの刑法学会で展開された、いうなれば「古典学派」と「近代学派」といわれるものの間に展開された争いであったということである。

⇒古典学派の代表者は、当初ビンディング(1841–1920)、そして後にビルクマイヤー(1847–1920)であり、また、近代学派の代表者はリスト(1851–1919)である。


※ビンディング

ビンディングの規範違反説とは…実定法の分析から出発して刑罰法規とその前提である規範とを区別し,犯罪を規範の違反としてとらえた。


※ビルクマイヤー

最有力条件説を唱える…客観的相当因果関係説のなかの原因説に分類され、なにかの基準で原因を突き止めることにより、その原因と結果の間にだけにおいて因果関係を肯定するもの。


※リスト

犯罪の社会的原因を強調することにより、「最良の刑事政策とは最良の社会政策である」の名言を残し、救貧を始めとした社会環境の状況改善が犯罪を抑止するのに最も有効であると説いている。


(1)古典学派と近代学派の争い

⇒刑罰論と犯罪論の双方にもみられる。

①刑罰論にみられる論証

1、刑罰の根本に関して、古典学派は「応報刑論」を展開させ、刑罰を、「過去に行使された一定の悪行に対する反作用」として捉えたのに対し、近代学派は「目的刑論」をとり、刑罰をもって、「将来の犯罪に対し社会を防衛するための手段」であると解したことである。

2、応報刑論のうち、過去の犯罪に対する贖罪ということを重視するものを「贖罪刑論」といい、また、目的刑論を純化させて、刑罰の目的を「犯罪者の教科・改善に求める」意味を持つ教育刑論がある。

3、基本的には応報刑論に立って考え、刑罰の目的をも考慮することになる相対主義の立場をも含め、なおかつ刑罰は法として規定されていること、または現に法として執行されることによって一般人を威嚇し、事前的に犯罪の予防に役立つとする一般予防論が唱えられた。

4、これに対して、近代学派は、刑罰を科することにより、犯罪者を威嚇し、なおかつ改善させ、その者が将来再び犯罪に陥ることのないように、犯罪を予防しようとする特別予防論を説くことになる。


②犯罪論にみられる論証

1、古典学派の刑法理論は、刑法を道義的応報として理解することになり、しかも刑罰の

大小はなされた違法行為の大小に相応するものと考える(行為主義)、そして外部に現れた違法行為自体が科刑の基礎として現実的意味をもつことになる(現実主義)。

⇒したがって、古典学派の犯罪論は客観主義となる。

2、これに対して、近代学派の刑法理論によると、刑罰の大小は犯罪の社会的危険性の大小に相応するものと考えられる(行為者主義)、そしてなされた違法行為は犯罪者の危険性を徴憑するという意味しかもたない(徴憑主義)となる。

⇒したがって近代学派の犯罪論は主観主義を採用することになる。


【参考】

※客観主義と主観主義

1、旧派と新派の対立は、犯罪の本質自体をどのように捉えるかについて、客観主義と主観主義の対立としてあらわされる。

2、客観主義とは、犯罪の本質を、外部的な犯人の行為ないしその結果に求める立場をいう。

⇒意思の自由を肯定する旧派の立場からは、犯罪の本質は、自由意思の外部への現れである現実の行為であり、そして個々の犯罪行為にあると考えることになる。

3、これに対して、主観主義とは、犯罪の本質を、行為者の内部的な性格に求める立場をいう。

⇒意思の自由を否定する新派の立場からは、犯罪は行為者の性格(素質)と環境から生ずる必然的な現象であり、犯罪の本質は、行為者の反社会的な性格の現れであると考えることになる。

4、客観主義の立場からは、犯罪の成立については、行為の客観的側面と結果を重視することになる。また、責任という意味合いにおいては、自由意思によって犯罪行為を選択して、その行為にでたことに対する道義的な非難であると考えることになる(道義的責任論)。

5、これに対して、主観主義の立場からは、犯罪の成立については、行為者の反社会的性格・動機などの主観的側面を重視することになる。また、責任という意味合いにおいては、社会防衛のために刑罰を受ける地位だと考えることになる(社会的責任論)。

6、反社会的な性格を改善するために刑罰を科すから、性格の改善の余地があることがその第一の前提となると考えるのである。

 

※応報刑論と目的刑論

1、旧派と新派の対立は、刑罰の本質自体をどのように捉えるかについて、応報刑論と目的刑論の対立としてあらわれる。

2、応報刑論とは、刑罰の本質を、道義的責任のある行為に対する応報として犯罪者に科せられる害悪と捉える立場をいうのであり、これは旧派の立場である。

⇒応報としての刑罰が加えられることにより、一般人を戒めて犯罪を予防し(一般予防論)、法秩序を維持することができる(法秩序維持論)、と考えることができる。

(どこか、主の行われた戒めに似ている)

3、これに対して、目的刑論とは、刑罰の本質を、行為者の反社会的性格を改善・教育するための手段であると捉える立場をいうのであって、これは新派の立場である。

⇒刑罰の目的を、行為者の改善・教育によって再犯を予防することと捉え(特別予防論)、これによって社会を犯罪から守る(社会防衛論)、と考えることができる。

(これまた、主の指導された反社会的な性格を懲らしめて教育することに似ている)


かいひろし法律の部屋

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