知9:5 わたしはあなたの僕、あなたのはしための子、 弱く、はかない命の人間です。 裁きと律法とをまだわきまえていません。
知9:6 たとえ、人々の中に完全な者がいたとしても、 あなたの与えられる知恵を持たなければ、 その人には何の価値も認められません。
※いまだに、律法という分野は記されているとおり、不十分なことは十分承知。
法律を学ぶ方向と、聖書の意味に記された己の意味を探ることに奔走して、その意味を知り、その言葉を記してきた。
かつて作っていた、法律のレポートをひっくり返して読んでみると、独学ゆえ、間違いに気がつくこともある。
その時は、修正して再び、その文章を作り直す作業をすると、また学びになると実感している。
聖書の意味を知るために突入した意味にも師はなし、法律の分野でも金もなく奔走したことに師はいない。
ただ、この言葉が記されている。
40:13だれが、主の霊を導き、
その相談役となって主を教えたか。
40:14主はだれと相談して悟りを得たか。
だれが主に公義の道を教え、
知識を教え、悟りの道を示したか。
40:15見よ、もろもろの国民は、おけの一しずくのように、
はかりの上のちりのように思われる。
見よ、主は島々を、ほこりのようにあげられる。
40:16レバノンは、たきぎに足りない、
またその獣は、燔祭に足りない。
40:17主のみ前には、もろもろの国民は無きにひとしい。
彼らは主によって、無きもののように、
むなしいもののように思われる。
40:18それで、あなたがたは神をだれとくらべ、
どんな像と比較しようとするのか。
※要するに、あきらめずに地獄という苦汁の日々におかれようとも、その筆は休めてはならない。
その教えという導きと、それを学ぶために法律の分野に呼び込んだのは主であった。
われの師は「主である」。
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