憲法のお勉強 第5日

4 法の支配

4-1 意義

※法の支配とは、専断的な国家権力の支配(人的な支配)を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理をいう。

⇒イギリスで生まれ、英米法の根幹的な考えとして発展してきた考え方である。 第二次世界大戦の日本の敗戦後に、日本国憲法にもこの考え方が組み込まれた。


4-2 重要な内容

①憲法の最高法規性の観念

②権力によって侵されない個人の人権

③法の内容手続きの公正を要求する適正手続き

④権力の恣意的行使をコントロールする裁判所の役割に対する尊重


4-3 法の支配と法治主義

法治主義は、法律によって権力を制限しようとする点で一見「法の支配」と同じにみえる部分はあるが、法治主義は、手続を経て正当に成立した法律であれば、その内容の適正を問うことはない。

⇒したがって、「法の支配」が民主主義と結びついて発展した原理であるのと異にし、法治主義はどのような政治体制とのあり方とも結びつき得る原理である。

(要するにヒトラーのような危険もはらんでいる)

※このような意味での法治主義を実質的法治主義と対比する意味で「形式的法治主義」と呼ばれることもある。


※その一方では、「法の支配」の下においては、たとえ「法律(立法)」の手続を経てなされたとしても、法律の内容は適正でなければならず、権利・自由の保障こそ本質的であるとする点に法治主義との差がある。

⇒このような法に対する考えの違いが歴史的に生じたのは、イギリスにおいては、法とは、「古き国制」に由来する人の意思を超えたものであって、人の手によって創造され得るものでなく、発見するものであると伝統的に考えられてきたことが背景にあるとする。

※もっとも、現在では、ドイツでは、法律の内容の適正が要求される「実質的法治主義」の考え方が主流となっているが、反対に、イギリスでは、「古き良き法と法の支配は異なる」とする論調のように、多義的な概念である法の支配に政治哲学的な価値を持ち込むこと自体を批判し、法の支配と(形式的)法治主義を同視する見解が多い。


4-4 日本国憲法における法の支配

※戦後、アメリカ法に影響を受けた日本国憲法が制定されると、日本国憲法が法の支配を採用しているものなのかが問題となったが、制定法主義をとることになる。

⇒そして、現在の日本の憲法学においては、「法の支配」の内容は以下の4つとされている。

憲法の最高法規性

※法律・政令・省令・条例・規則など各種法規範の中で、憲法というものは最高の位置を占めるものであり、それに反する全ての法規範は効力を持たない。

⇒前文:これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

(日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚しなかればならない)


不可侵なる人権の保障

⇒憲法は人権の保障を目的とする部分。


適正手続きの保障

※法内容の適正のみならず、手続きの公正と正義の意味もまた要求される。


司法権の重視

※法の支配においては、立法権・行政権などの国家権力に対する抑制手段として、裁判所は極めて重要な役割を果たすことになる。


4-5 法実証主義と近代自然法論

※自然法論

① 人間は生まれながらに自由かつ平等で自然権を有する。

② ①の自然権を確実なものとするために社会契約を結び政府に行使を委任する

③ 政府は②で委任されただけなので政府が人民の権利を不当に制限する場合、人民は政府に抵抗する権利を有している

1 定義

※自然法論とは、広義においては、自然法に関する法学、政治学ないし倫理学上の諸学説の総称である。

⇒最広義においては、ギリシャ神話以来の、自然から何らかの規範を導き出そうとする考え方全般を意味するが、狭義においては、近世自然法論から法実証主義の台頭までの期間で論じられることが多い。

(その源は「神の律法」であろう)


※法実証主義

法学上の方法論であり、一切の政治的、社会的、歴史的、倫理的要素を法学から一切排除して、対象とされる成文法規範を論理的、形式的に整序しようとするものである。

⇒法実証主義がどのような立場であるかについては、法実証主義者の間ですら見解の一致を見ないが、およそ3つの立場に分類される。

①法実証主義とは、法を実力者の命令と解する考え方である。

②法実証主義とは、法の概念から自然法や正義を排除排撃する考え方である。

③法実証主義とは、法の評価を拒否する考え方である。


※このような考え方をとる法実証主義が否定するのは、実定法に対して正不正の評価をして、そしてその妥当性を基礎づける正義価値としての自然法であるとする。

【参考】

※自然法とは、神、自然または理性に由来するがゆえに、善であり、なおかつ正しくかつ正義であるのだが、これに対して、実定法は人間の意思によって定立され、それらゆえに価値のある実定法も反価値的な実定法も存在しえると言えるのである。

(神の造られた聖書にある神の律法と、それの意味を人間がその思惑で改ざんして作り上げた法とでは、反価値的な実定法も存在もあるということである)

⇒つまり、自然法も実定法も、法という部分の規範なのだが、自然法における当為は絶対的な当為であり、実定法のそれは相対的な当為であるとする。


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