憲法論文を書いてみた 3日目

憲法前文と第9条

 1 憲法9条の改正の論議の意味の前に憲法前文の「平和的生存権」の概念を見てみるとすれば、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」と記されていることである。 

 日本はこの平和のことを、「政策としての平和」と考える意味が乏しく、「人権としての平和」と位置づけ、その方向性がいまだに盤石ではないないように思われる。 

 また、憲法に見られる平和的生存権については、最近裁判所がより具体的に解釈を示すようになり、国民はこの規定を大いに活用して、まさに「平和に生きる権利」を主張していくことが大事であると考えるのである。 


 前文にはこのように記されている。 

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く 自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」 


 さて、この記された「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とは何であろうか。 

その意味はその日本の根本的姿勢を崩さぬ、「武器を持って戦わぬ」不戦主義ではあるまいか。 

憲法9条の条文を見るとすれば、まず「日本国民はどのような方向性」を持つかというと、「正義と秩序を基調」とするのであり、正義とは「正しい道理」に従いそれを遂行することである。 

さて、秩序とは何であるか。 

この大事な解釈を間違えてしまうと取り返しのつかない方向性を生み出しかねない。 

秩序とは、「物事の正しい順序・筋道」である。 


 この根本を正しく憲法の意味に理解することもなく、ただその圧力に屈して議論した挙句にこの国を路頭に迷わせるようでは「秩序を正しく順序づけて、筋道を正す」意味が不明確なのである。 

 また、憲法で、国際紛争の問題では、「それを解決する手段として、永久にこれを放棄」すると宣言しているように、本来の平和主義を持続して維持するのであれば、武器を使う方向性や経済力にその重要度を置かずに、その根本なる平和主義を守るために人類の先をよりよく考え、それを日本が実際に姿勢を見せ、その真価を見せる時であるという意味合いにおいていまだにその真価に気が付いていない。 


 昔からの日本人の視線の問題点

 2 かつて戦争に日本が負けたことや、その後の政治体制がふらついているのは、その根本的な思考に問題が大いにあることである。 

 正しい判断であるならば、今ある世界の情勢を見極め、どうするかが分からずじまいでは、今後の日本の命運はその意味において転覆するというか、この時局に判断力を大いに誤まるのであれば、日本だけではなく世界が崩壊することになるともいいかねない。

 いや、実際にそうなる局面にわたしたちは直面していて、その動向次第では、その先は滅亡が待ち受けていると考えるのである。  


 今までの歴史の問題の時局を見るとすれば、その作戦計画にめくらともいえるミッドウェー海戦がいい事例である。作戦本部が頭でっかちで、現状を把握することもなく、その作戦もお粗末であり、ましてや情報収集はおろそかになり、この状況で、日本は赤城、加賀、蒼龍、飛龍の4空母を失い、作戦面においてもこの時点で大きくアメリカに有利に立たせたことがある。 

 そして、作戦本部の体制は修正されることなく、戦争後期より、神風特攻隊を指揮し無謀とも思える人命を損なうことになり、作戦とは思えぬ狂った思考が日本の軍部において展開されたことだ。 そしてやがて敗戦するのであるが、今のこの憲法9条を改正して、その愚かな道をゆくのであれば、その思考の未熟さなる愚かさを日本は完全に捨てねばならないといえる時期に直面しているのである。 


平和的生存権の根拠とは

 3 では、まず「平和的生存権の根拠」を考えるとすれば、その根拠はどこにあるのか。 そして、平和的生存権を具体的権利とみるとすると何が重要なのかを説く。  


 この点において、平和的生存権の法的根拠は、憲法の13条の意味するところ、「個人の尊重(尊厳)、幸福追求権」に求める意味が大きい。 今日、13条は新しい人権に包括的根拠の規定としての意味を有しており、しかも国民の生命の大事を考えるならば、13条の「幸福を追求する国民の権利」という意味合 いは、かつての人命無視の作戦で犠牲者を多大に出した反省の意味であり、憲法の三大原則の重要なる意思表明において、平和的生存権の具体化として読み取ることができるのである。  

 その後における我が国の憲法の意味においては、「世界に類のない平和主義」を徹底した憲法ということができ、戦争をしないという学びを「戦争の放棄」として明確に宣言していることである。 

 これに照らして、平和的生存権の内容はいうなれば、「平和的手段のよる平和の保持」であり、これを学ぶことで世界の動向にも変化を及ぼし、この平和的生存権が、今苦しむ人々の最大の教えとなり、願いになるのではないかと問うのである。 


 この根本的意識の考えに、あくまでも平和は理念・そして目的であるとする抽象的概念と捉える立場もあり、具体的な権利性を否定する見解も存在する。 

(長沼事件控訴判決など)  

 しかしながら考えをまとめるとすれば、過去の事例も見るように、個人の生命・身体・自由のもっぱら危害を及ぼした元凶も戦争であったことは事実である。 

 ましてや、今あるシリアの現状等などを見るならば、はたして憲法を改正して今ある平和主義を根本から改正してしまうことになるのであれば、その道は破壊へと導く意味になるのではないかと問うのである。 

 このような意味を考えると、戦争をすることはできる限り忌避すべきであり、それを行う意味を憲法の条文に置き換えることは日本の今後を確実に破滅に導くと考えねばなら ない。 

 そうであれば、個人の尊厳を重要視する13条と深く結び付く事になり、それこそ平和の基本的人権といえるのである。 (続く)  

かいひろし法律の部屋

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