憲法のお勉強 第30日目

第八章 精神的自由権

(一)内心の自由 

※自由権  

・基本的人権の一つとされ、国家から制約ないし強制されずに、自由に物事を考え、自由に行動できる権利のことをいう。

・古くはイギリス権利章典・ アメリカ独立宣言・フランス人権宣言でうたわれ、今日まで続く歴史を持っている。

・内容は人間の自由のすべてに及ぶことになり、その一覧を作ることはまず不可能と考えられる。

⇒自由権は、人権の中でも特に重要な人権とされている。 


【日本国憲法においての自由権】

・日本国憲法においては、内容は経済的自由権、精神的自由権、人身の自由に大別することができる。

①精神的自由権

・思想・良心の自由や信教 の自由、表現の自由、学問の自由などが含まれる

②経済的自由権

・職業選択の自由や営業の自由、財産権の保障が含まれる。

③人身の自由

・奴隷的拘束の禁止や不当逮捕などの禁止による被疑者・被告人の人権保障(罪刑法定主義・適正手続)などからなる。 


【国家からの自由】

・国家からの自由(対公権力性)ともいわれ、国家への自由ともいわれる 参政権という意味で対比されることもある。  


一 思想・良心の自由

1 精神的自由の基本をなす自由  

・人間のあらゆる活動は人間の精神活動から生まれるものである。

⇒人間の内心の自由のうち思想及び良心の自由がなければ、表現の自由、その他の精神的自由、経済的自由も存立の基盤を失ってしまう。

※人間の内心の自由は人類の持つ原点「すべての自由の基礎」であり、他の自由権より厳重に守られねばならないとされている。 

※イエスが言っている。”なぜあなたがたは杯の外側を洗うのか。あなたがたは、内側を造った者が、また外側を造った者であることが分からないのか”

⇒この意味は人々の内心における「思想という良心の自由に関係する神のご意思」を言葉にしたものである。


・良心は思想の内面化であり、信仰に準じる世界観、人生観、主義、信条 など個人を形成するあらゆる精神作用を含むのであるが、単なる事実の知・不知の ような事物に関する是非弁別の判断は含まない(限定説・信条説)とする のが通説。

⇒ただし、「是非弁別の判断をも含む」(広義説・内心説)と する説も見られる意味がある。 

※根本的に言うが、この「是非弁別の判断」が欠けていれば人類の行く末は危うい。


【憲法19条「思想及び良心の自由」】

・憲法19条の「思想及び良心の自由」とは、明治憲法下のかつての我が国において、法律を運用して特定の思想を弾圧しようとした経験の反省から生まれたものと言っても過言ではない。 

⇒いかなる思想に対しても、それが正義であり学ぶべき人類の思想に繋がるのであれば、それを排除するのは、結果的に世の乱れを生むのである。


2 思想・良心の自由の保障の意味 

(一)思想と良心  

・第19条が国民の思想・良心の自由を保障したことは、国民が天皇の道徳的権威から解放され、真に自由な人間になったことを意味する。  

⇒わかりやすくしていえば、人間の内心は本来のこと自由であり、人間が内心においていかなる思想を有するかは、本来、外部からの権力をもって強制し得ないものである。 

・かつてのように、国家権力によって人間の思想を弾圧し統制しようとしても、表面的 には、その人間がそれに服従したかのように見えたとて、内心におけるその 思想自体をも変更させることはあらゆる意味において不可能であること。

(余計にその現物なる神を見るのならば、その思想の意味は本来の学ぶべき信仰になるのである。)


・特にわが国においては、国家として、「国民の内心における価値判断」について本来無関係であり、さらに無干渉であるべきという原理そのも のを明らかにすることが、今後の日本において特に重要な意味を有する。 

※すなわち、わが国においては、天皇そして国家の名において要求されることがすなわち正しいことであると考えられていた。

⇒ことの正しさは、そのこと 自体の正しさによってではなく、それが天皇または国家が正しいとしたことによってであると考えられていたのである。

※しかるに近代国家における自由の理念とは、何よりも個人の人格の尊厳を基礎として、国家はこの国民の内心に対しては、無干渉すなわち完全なる中立でなければならないとされる。  


・第19条は、この「国家の中立性」の原理を明らかにしたものといえる。

⇒明治憲法下において「教育勅語」が果たしている役割が、国民の意思としての法律たる教育基本法、特にその前文によってとって代わられ、 

(この前文を特に読み直すとその意味が理解できる)


【何が正しいかと考える判断基準】 

・「思想」の自由と「良心」の自由との区別については、思想の自由はいわば論理的に「何を正しいと考えるか」の判断基準についての自由であり、良心の自由はいわば倫理的に「何を正しいと考えるか」の判断基準についての自由であると いうことができるのである。  

⇒また良心の自由は、思想のうちその「道徳的判断に属する部分」であり、現代の意味においてはこの道徳的判断が欠けているのも事実である。

※さらにこの道徳的判断に属する部分は根底的な部分であるともいえるのである。

(その大事な要素が思考という道徳的判断となる。)


(二)保障の意味  

・思想・良心の自由を保障するということは、要するに個人の思想・良心 に対して国家が干渉してはならないことを意味する。

⇒具体的には、ある思想を有することまたは有しないことを理由として、国民に何らかの不利益を加えることはその意味において許されない。

・また、いかなる思想・良心を有しているかを告白することを強制することは許されない。

⇒すなわち、いわゆる「沈黙の 自由」がその意味において保障されるのである。  

・歴史的にみると、たとえば、徳川幕府時代において行われた「キリスト教弾圧」のための踏絵などは、信仰の自由とも関連するのであるが、思想・良心の告白を強制し、それに 基づいて不利益を加えた例の顕著なものであるといえるのである。  


・内心の自由の保障は、ことがらの性質上の絶対的な保障であり、「公共の福祉」を理由とする制限も一切認められない。

⇒また、思想の自由の保障は いかなる思想にも適用され、憲法の原理そのものに反する思想や、憲法の原理そのものの否定しようとする思想に対しても、その思想の故のみを理由としてそれを制限・禁止することはできないとされる。

※ただその思想が言論・出 版その他何らかの外部的行動として現れた場合に、はじめて「公共の福祉」による規制の対象となることがあるにとどまるのである。

かいひろし法律の部屋

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