憲法のお勉強 第13日

2 自由権から社会権へ

※人権宣言の社会化

(1)総説

 ※人権宣言の歴史 ― 人権の内容の面で大きな変化をもたらす

  18~19世紀の人権宣言は自由権を中心としたものだった。

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  20世紀の人権宣言は、第二次世界大戦後においては一般に社会権に移行する。


※自由権

※そもそも憲法が生まれたのは、絶対王政期の国王による人権侵害を防ぐためであった。憲法によって国王の国家権力を制限し、国民の権利が不当に侵されることのないようにした。

⇒こうして生まれたのが自由権的基本権と呼ばれるもので、これには 次のような3つの権利が含まれていた。


①自由権的基本権

A 精神的自由  思想および良心の自由、信教の自由、表現の自由など

B 人身の自由  不当に逮捕されない権利など

C 経済的時勇  財産権の保障など


※社会権へに移行

1、資本主義が発達するにつれて、また新たな問題が発生するようになった。

⇒それが、貧富の差の拡大・恐慌・失業・労働問題などである。

2、国家権力から余計な干渉を受けないという自由を手にしたのはいいのだが、多くの労働者にとってその自由とは「橋の下に寝る自由」でしかなく、いろいろな問題が世界でみられるようになる。

3、「のたれ死にする自由」や「橋の下に寝る自由」があっても仕方がないことであり、人々は参政権を要求し、やがて、強気をくじき弱気を助ける法律を次々に成立させていくようになる。

⇒こうして20世紀の憲法は、資本主義によって生じた問題を解決するために、国家が最低限の生活を保障する「社会権」を盛り込んだ憲法が登場するようになる。


自由国家的人権宣言から社会国家的人権宣言という歴史の流れ

             ↓

     人権宣言史上きわめて注目に値する。


(2)ワイマール憲法

※ワイマール憲法の最大の特徴は、人権保障規定の斬新さにある。

⇒自由権に絶対的な価値を見出していた近代憲法から、社会権保障を考慮する現代憲法への

転換がこのワイマール憲法によってなされ、その後に制定された諸外国の憲法の模範となった。当時は世界で最も民主的な憲法とされ、第1条では国民主権を規定している。


※ワイマール憲法に見られる統治制度はおおよそ次のとおりである。

①直接選挙で選ばれる大統領(任期7年)を国家元首に置き、憲法停止の非常大権などの強大な権限を与えた。また、大統領は首相の任免を行うとする半大統領制を初めて採用した点。

②大統領は議会の解散権を有し、議会は不信任決議をすることで首相を罷免させることができる。

③議会は、国民代表の国議会と、州(ラント)代表の参議会からなる両院制である。

④司法機関は通常裁判所の他に国事裁判所がある。

⑤志願兵からなる国防軍を置き、大統領が直接指揮・監督する。

⑥一定数の有権者による国民請願や国民投票など、直接民主制の要素を部分的に採用した。


【問題点】

1、当時、最も民主的な憲法として公布された。しかし、ヴェルサイユ条約による多額の賠償金がドイツ経済を圧迫する。

⇒その結果、インフレを招き、世界恐慌と相まって経済は一層混乱した。

2、だが、フランス第三共和政と同様に少数政党の乱立がおきやすい選挙制度であったこと。

⇒内閣は複数政党の連立内閣となることが多く、政策の安定性に欠けていて、有効な政策を十分に取れなかったことがあげられる。

3、さらに、国民請願や国民投票など直接民主制を取っていた現実。

⇒左翼のドイツ共産党や右翼のナチスなどの反ヴァイマル憲法派政党がときに大衆行動に訴え、国会を乱す切っ掛けをつくる原因となったこと。

4、これによってヴァイマル共和国政府への信頼は失墜する。

⇒民主制への期待は次第に不満へと変わっていくことになる。こうした政治的・経済的混乱を打開するため、大統領は非常時大権を行使することもしばしばあったものの、特に、ヒンデンブルク末期のように、議会の信任を得ない内閣が政権をになう事態が続く結果となった。

(今の政治的、経済的混乱もよく似ている)

5、加えて、大統領に直接指揮される国防軍も政治的に介入するなど、半ば独裁的政治を敷く温床となったこと。

⇒ナチスが台頭し、立法権と行政権の融合を図る全権委任法が制定された後も正式には廃止されなかったが、現在の研究の意味においては、全権委任法が制定された時点にヴァイマル憲法は事実上死文化したと考えられている。

6、皮肉にも、国民のための憲法は、国民と時代に見棄てられたばかりか、世界大戦に繋がってゆくことになるのである。

※この失敗をもとに、戦後のドイツ連邦共和国の憲法典であるボン基本法では以下のように改められている。

①大統領を議会による間接選挙とし、権限を儀礼的な役割に限定。

②国民に自由主義・民主主義を擁護する義務を持たせ(戦う民主主義)、明らかに民主主義を否定する政党には裁判所が禁止命令を下すことが可能としている。

③国民投票などの直接民主制を廃止したこと。

④内閣不信任にあたっては後継首班をあらかじめ決定する義務を負わせる

(建設的不信任制度)。

⑤徴兵制を導入するとともに、軍を内閣の指揮・監督下に置くこと。


(3)戦後の諸憲法

※第二次世界大戦後の世界各国の憲法は、公正な配分に重きを置くようになり、社会権の保障を採り入れ、社会国家としての国民の福祉の向上に努める義務を国家に課すようになった。

※各国の憲法改正の状況

①アメリカ 6回

②カナダは 1867 年憲法が 16 回、1982 年憲法が 2 回

③フランスは 27 回(1958 年の新憲法制定を含む)

④ドイツは 58 回

④イタリアは 15 回

⑤オーストラリアは 3 回

⑥中国は 9 回(1975 年、1978 年及び 1982 年の新憲法制定を含む)

⑦韓国は 9 回(1960年、1962 年、1972 年、1980 年及び 1987 年の新憲法制定を含む)


かいひろし法律の部屋

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