憲法のお勉強 第7日

③ 日本国憲法成立の法理

1 日本国憲法の自律性

(1)問題の所在

1、一国の憲法はその国の国民の自由意思に基づいて制定されなければならない。

⇒この原則に反して、ある国の憲法制定に他国が強圧的に介入する場合には、内政不干渉の原則、憲法の自主性・自律性の原則違反の問題が生じることになる。

2、日本国憲法の場合には、戦争に敗戦して制定過程のときに、連合国総司令部からの強要的要素があったため、憲法自律性の原則に反しないかが問題となる。

【参考】

※内政不干渉の原則=国家は国際法に反しない限り、一定の事項について自由に処理することができる権利をもち、逆に他国はその事項に関して干渉してはならない義務があるという、国家主権から導出される原則をさす。

※憲法自律性の原則=憲法の制定は、国民の自由意思に基づいてなされなければならないとするもの。


(2)解決方法

・結論:憲法自律性の原則は、法的には、損なわれていなかったと解するのが妥当である。

・理由

(a)国際法的観点

① ポツダム宣言は、連合国が日本に対して行った無条件降伏の一方的命令ではなく、不完全ながらも、連合国と日本の双方を拘束する一種の休戦条約の性格を有するものであると解されること。

② この休戦条約は、内容的には、国民主権の採用、基本的人権の確立など、明治憲法の改正の要求を含むものと解される。

⇒これの意味が、今日ある日本の平和的国家の礎となる。

③ 従って、連合国側には、日本側の憲法改正案がポツダム宣言に合致しないと判断した場合には、それを遵守することを日本に求める権利を持っていたと解することができる。

④ 条約の権利に基づいて、一定の限度で、一国の憲法の制定に関与することは、必ずしも内政不干渉の原則ないし憲法の自立性の原則に反するものではないと言えるのである。


(b)国内法的観点

① 日本国憲法の自律性は、上記のように、ポツダム宣言の受諾・降伏文書の署名によって、出来上がった本来条件付きのものであったという意味。

② この条件の原則を定めたポツダム宣言では、日本国民の自由意思による国民主権の原理あるいは基本的人権の尊重の原理が定められていたが、それは近代憲法の一般原理であり、この原理に基づいて憲法を制定することは国家の近代化にとって必要不可欠であったこと。

⇒今のこの荒れた世界に示す「平和と不戦という重要性」を説ける国家はただ一つ、日本しかできない意味があること。

③ 終戦直後の日本政府は、ポツダム宣言の歴史的意義なる部分を十分に理解することができず、自分の手で近代憲法をつくることができなかった点。

④ これに反して、当時の在野の知識人の憲法草案や世論調査を見れば、マッカーサー草案発表前後の時期のころに、かなり多くの国民が日本国憲法の価値体系に近い憲法意識を持っていたと言え、政府も、帝国議会における審議の段階では、マッカーサー草案の基本線を積極的に支持していたこと。

⑤ 完全な普通選挙により憲法改正案を審議するための特別国会が国民によって直接選挙され、審議の自由に対する法的な拘束の無い状況の下で草案が審議され可決された。

⇒日本の憲法改正への審議が、国民の関心から正当な方向性へ目が向けられた意味。

 要するに戦前は、国民には拘束された部分があった。

⑥ 極東委員会からの指示で、憲法施行後改正の要否につき検討する機会を与えられながらも、政府は全く改正の要無しという態度を取った。

⑦ 日本国憲法が施行されて以来、憲法の基本原理が国民の間に定着してきているという社会的事実が広く認められること。

⇒要するに、その憲法の中身の変化の重要性は、後の日本という国家があるべき基礎を十分に作り上げたという点である。


2 日本国憲法の民定性

(1)上諭と前分の矛盾

※日本国憲法は、その上諭によると、明治憲法の改正として成立した意味なるもの(欽定憲法)である。

①しかし、前文は、国民が国民主権の原理に基づいて制定した民定憲法であると宣言している。そこで、この矛盾をどのように解するか、

特に、天皇主権を定める明治憲法を国民主権の憲法へと改正することは、法的に許されないのではないか、という疑問が生じる。

②憲法改正には一定の限界があり、憲法の基本原理を改正することは一種の自殺行為であると考え、明治憲法に関しても、学説上、天皇主権や天皇が統治権を総覧するという「国体」の変革は法的に不可能であると考えられていたからである。

⇒要するに、その意味のあるべきことに気が付いていない思考があったこと。


(2)8月革命説の内容

※この点を理解する最も適切な学説として、今いわれる8月革命説を上げることができる。

(a)明治憲法73条の改正規定によって明治憲法の基本原理である天皇主権主義と真っ向から対立する国民主権主義を定めることは、確かに法的には不可能である。

(b)ポツダム宣言は国民主権主義を取ることを要求しているので、ポツダム宣言を受諾した段階で、明治憲法の天皇主権は否定されるとともに国民主権が成立したと解される。

⇒つまり、ポツダム宣言の受諾によって法的に一種の憲法革命があったと見ることができる。

(c)もっとも、この憲法革命によって明治憲法が廃止された訳ではない。憲法の残った条文はそのままで、その意味が、新しい建前に抵触する限りで重要な変革を被ったというべき方が妥当である。

(d)従って、日本国憲法は、実質的には、明治憲法の改正としてではなく、新たに成立した国民主権主義に基づいて、国民が制定した民定憲法である。

⇒ただ、73条という改正という手続きを取ることによって明治憲法との間に形式的な継続性を持たせることは、実際上は便宜で適当であったこと。


【参考】

大日本帝国憲法第73条

1 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ

2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス

(現代的表記)

1 将来、この憲法の条項を改正する必要があるときは、勅命をもって、議案を帝国議会の議に付さなければならない。

2 この場合において、両議院は、各々その総員の三分の二以上が出席しなければ、議事を開くことができない。出席議員の三分の二以上の多数を得られなければ、改正の議決をすることができない。

※結局、その憲法自体の改正の意味については、明治憲法でも、公平な審議を必要としている点があげられる。


(3)8月革命説批判

(a)ポツダム宣言を受諾したからと言って、直ちに天皇主権主義が崩壊して、国民主権主義が確立したのではなく、ただ明治憲法を国民主権主義の憲法に改めることを日本が「債務」として負ったにとどまる(帝国議会審理の段階における、国務大臣金森徳次郎の解釈)。

(b)天皇が債務を履行するために改正の限界を破る改正案を帝国議会に提出し、審議の過程で「日本国憲法」を制定するという主権者たる国民の意思が議会を通じて顕現した。


【参考】

 日本国憲法無効論とその批判

(1)日本国憲法無効論

・①説→現行憲法は、その制定手続と内容から見て無効であるとする説

・②説→現行憲法は、占領下では効力を有するとしても、占領終結によって失効すべきものであるとする説。

・①説、②説の根拠→日本国憲法は、占領という異常事態の下で、しかも、占領軍の圧力に屈して制定されたものであるから、国際法(ハーグ陸戦条約付属の陸戦規則43条)に反するするもの。


(2)批判

・ハーグ陸戦条約は、交戦中の占領軍にのみ適用され、我が国の場合は、交戦後の占領であり、原則としてその適用を受けない。

・仮に適用されるとしても、ポツダム宣言・降伏文書という休戦協定が成立しているので、「特別法は一般法を破る」という原則に従い、休戦条約(特別法)が陸戦条約(一般法)よりも優先的に適用される。

※されど、歴史的意義を考えると、日本が今後いかにあるべきかという思考を問いただせば、日本国憲法という意味は無効ではないと言えるのである。




かいひろし法律の部屋

今学んでいる法律の学問を記します。

0コメント

  • 1000 / 1000